三河町とは? わかりやすく解説

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三河町

読み方:ミカワチョウ(mikawachou)

所在 宮城県石巻市


三河町

読み方:ミカワチョウ(mikawachou)

所在 群馬県前橋市


三河町

読み方:ミカワチョウ(mikawachou)

所在 山口県下関市


三河町

読み方:ミカワマチ(mikawamachi)

所在 大分県日田市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒986-0846  宮城県石巻市三河町
〒371-0015  群馬県前橋市三河町
〒751-0821  山口県下関市三河町
〒877-1244  大分県日田市三河町

三河町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/03 18:58 UTC 版)

日本 > 東京府 > 東京市 > 神田区 > 三河町

三河町(みかわちょう)は、江戸時代から昭和初期にかけてに存在した町名。町域は現在の東京都千代田区内神田1丁目と神田司町2丁目付近および神田美土代町の一部にあたる。

概要

町名の由来は、徳川家康が入府したさいに帯同した三河の下級武士がこの地に移り住んだことによる。江戸でもっとも古い町の一つであり、1丁目から4丁目まであった。明治時代には東京市神田区三河町となったが、1935年(昭和10年)に1丁目が鎌倉町と、2〜4丁目が神田司町と合併したことにより町名は消失した。

三河町に関連する作品

岡本綺堂の小説『半七捕物帳』では、主人公の半七親分は神田の三河町に居を構えているという設定である。

関連項目

  • スラム - 明治に入って後都市スラム化し、1921年(大正10年)に刊行された『東京市内の細民に関する調査』において約2,000人の細民人口が計上されている[1]

脚注

[脚注の使い方]

三河町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 06:51 UTC 版)

福山 (城下町)」の記事における「三河町」の解説

市内寺町にある大念寺前の通りを示す名称で越後騒動により処分され松平光長養子福山藩預かりになった松平綱国住まいがあった事に由来するといわれる

※この「三河町」の解説は、「福山 (城下町)」の解説の一部です。
「三河町」を含む「福山 (城下町)」の記事については、「福山 (城下町)」の概要を参照ください。

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