彫刻屋台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:17 UTC 版)
「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」の記事における「彫刻屋台」の解説
今宮神社祭礼に曳き出される氏子町の屋台は27台ある。これらは江戸の屋台の系統を引く「踊り屋台」から発展したもので、元来芝居や踊りのための移動舞台だったものが、囃子方が中に乗って演奏するものへ変化している。いわゆる鹿沼型の屋台の最大の特徴は、日光山社寺の豪華な彫刻の影響からか、全面が豪壮な彫刻によって飾られている点である。この地域は、日光例幣使街道と日光西街道の宿場町であったことから、日光山の彫刻師が冬、仕事が無く下山した際や、日光の帰り道に宿場や村の依頼により造ったものという伝承があり、現存する屋台の一部には、日光五重塔彫物方棟梁後藤正秀や磯辺儀左衛門、磯辺儀兵衛、石塚直吉、神山政五郎、後藤音吉などの彫師の銘が残されている。また屋台は一時に製作完成させたものではなく、町内の住民による各戸割(分限割)で費用を集め、資金の整いに応じて彫刻等を追加するなど、その製作期間が長期に亘り、代々受け継がれる町内の財産とも言えるものである。 以前各町の屋台は、祭礼の度に組立、解体を行なっていたが、近年は組立てたまま収納可能な収蔵庫が建設され大幅な負担軽減が図られた。反面組立解体技術の喪失や屋台保存環境の変化も危惧されている。
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