彫刻家アンリ・ゴデ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/22 06:19 UTC 版)
「ネリー・ルーセル」の記事における「彫刻家アンリ・ゴデ」の解説
1898年、20歳のときに15歳年上の彫刻家アンリ・ゴデに出会った。パリ・コミューンで戦った父とユダヤ人の母をもつゴデは、熱心なドレフュス派・反教権主義者でフリーメイソン会員でもあった。ルーセルは1907年に著した『講演集』を夫ゴデに献呈し、献辞に「私の聖職を理解し、励ましてくれた私の夫、私の最良の友に捧げる」と書いている(彼女はフェミニストとしての自らの使命を「聖職」と表現した)。実際、人権連盟の支部長でもあったゴデは、1904年に無政府主義者で反フェミニストのアンリ・デュシュマン が『ル・リベルテール(フランス語版)』紙でフェミニストを猛攻撃し、ルーセルを名指しで批判したときには、ルーセルが反論を試みたもののデュシュマンへの不信から匙を投げた後も、彼女の代わりに同紙に5回にわたって反論を掲載し、ルーセルの「聖職」とフェミニズムを支持した。
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