彫刻家の社会的地位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 17:17 UTC 版)
世界的に、彫刻家は一般的に作品に署名が入れられない熟練職人の立場にあった。例えば中国など彫刻が絵画と威信を共有しない一部の伝統では、このことが彫刻自体の地位に影響を及ぼしている。フィディアスなどの彫刻家が著名になった古代ギリシアでも(彼らは他の工匠と同程度の社会的地位を持っていたようだが)、一部の作品に署名があるとはいえ恐らく彫刻家はさほど大きな金銭報酬を得ていなかったと考えられている。中世では、12世紀にギスレベルトゥスなどの芸術家がたまに自分の作品に署名し、特にイタリアではトレチェント以降にアルノルフォ・ディ・カンビオそしてニコラ・ピサーノと息子ジョヴァンニ・ピサーノなどの(署名を入れた)立像が各都市で取り合いになった。金細工師や宝石商は貴重な材料を扱っていて銀行家としてしばしば力を増し、強力なギルドに所属してかなりの地位を持つようになり、市民事務所を構えることも多かった。また多くの彫刻家が他の美術で修練を積んだ。アンドレア・デル・ヴェロッキオも絵を描き、ジョヴァンニ・ピサーノ、ミケランジェロ、ヤコポ・サンソヴィーノは建築家であった。一部の彫刻家は大規模な工房を保持していた。ルネサンスでも、作品の物理的性質が芸術における彫刻の地位を引き下げるものとしてレオナルド・ダ・ヴィンチや他の人達から認識されていたが、恐らくミケランジェロの評判がこの長年あった思想を押しとどめた[要出典]。 ミケランジェロ、レオーネ・レオーニ、ジャンボローニャといった盛期ルネサンスの芸術家以降は、彫刻と絵画の相対的地位に関する論戦時期を経て、彫刻家が裕福になって尊敬され、宮廷芸術家の仲間入りを果たした。建造物につける装飾彫刻家の多くは職人のままだったが、個々の作品を生み出す彫刻家は画家レベルとして認識された。18世紀以降やそれ以前の彫刻もまた中流階級の門徒を魅了したが、そうなるのは絵画よりも遅かった。女性彫刻家は女性画家よりも現れるのに時間がかかり、20世紀まではさほど目立たなかった。
※この「彫刻家の社会的地位」の解説は、「彫刻」の解説の一部です。
「彫刻家の社会的地位」を含む「彫刻」の記事については、「彫刻」の概要を参照ください。
- 彫刻家の社会的地位のページへのリンク