愛甲季隆とは? わかりやすく解説

愛甲季隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 16:14 UTC 版)

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愛甲季隆
『英雄百首』(歌川貞秀画)
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 建暦3年5月2日/3日1213年5月23日/5月24日
別名 三郎(通称)
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝頼家
氏族 横山党愛甲氏
父母 山口季兼
兄弟 義久、季隆
季通
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愛甲 季隆(あいこう/あいきょう すえたか)は、鎌倉時代前期の武将相模国愛甲郡愛甲荘愛甲[1]御家人

略歴

弓矢に優れ、将軍随兵や正月の御的始の射手を務める。建久4年(1193年5月富士の巻狩り鎌倉幕府初代将軍源頼朝の嫡男・頼家が初めて鹿を射止めた際、その補佐を務めて頼朝に「お褒めの言葉」を賜っている。元久2年(1205年)の畠山重忠の乱で幕府による畠山重忠討伐軍に加わり、二俣川の戦いで武勇の誉れ高い重忠に矢を命中させてその首を取り、幕府軍大将の北条義時の陣に献上した。

建暦3年(1213年)5月の和田合戦では和田義盛方に与して敗北し、兄・小太郎義久ら一族と共に討ち死にした。

画像集

脚注

  1. ^ 神奈川県厚木市愛甲

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