藤原高光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 05:08 UTC 版)
藤原 高光(ふじわら の たかみつ)は、平安時代中期の貴族・歌人。藤原北家、右大臣・藤原師輔の八男。官位は従五位上・右近衛少将。三十六歌仙の一人。
- ^ 『多武峯略記』による。但し、985年(寛和元年)に死去した徽子女王(重明親王の娘)が、既に亡くなった高光を偲んだ歌が伝わっている(『斎宮女御集』)ため、高光の没年はそれ以前とする説もある。
- ^ 『栄花物語』巻第一月の宴
- ^ 『九暦』天暦2年8月19日条
- ^ 『多武峯少将物語』による。『栄花物語』では村上天皇の中宮であった姉の安子の死を契機に出家したとするが、安子の死去は応和4年(964年)であり、史実とは不整合がある(『新編 日本古典文学全集 31 栄花物語 1』小学館、1995年、55頁)。
- ^ 『大鏡』『今鏡』『栄花物語』等
- ^ 「多武峯少将物語に見る高光出家の周辺」『言語と文芸』、1963年9月
- ^ 『勅撰作者部類』
- ^ 『今鏡』147段
- ^ 『高光集』
- ^ 『村上記』
- ^ 『新編 日本古典文学全集 31 栄花物語 1』小学館、1995年、56頁
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