澪標住吉神社とは? わかりやすく解説

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澪標住吉神社

読み方:ミオツクシスミヨシジンジャ(miotsukushisumiyoshijinja)

別名 伝法の住吉さん

教団 神社本庁

所在 大阪府大阪市此花区

祭神 住吉大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

澪標住吉神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 15:48 UTC 版)

澪標住吉神社
所在地

大阪府大阪市此花区伝法3-1-6

北緯34度41分22.6秒 東経135度27分15.3秒 / 北緯34.689611度 東経135.454250度 / 34.689611; 135.454250座標: 北緯34度41分22.6秒 東経135度27分15.3秒 / 北緯34.689611度 東経135.454250度 / 34.689611; 135.454250
主祭神 住吉大神
天照皇大神
八幡大神
神武天皇
神功皇后
社格村社
創建 延暦23年(804年
例祭 8月1日(夏祭)
11月3日(秋祭)
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澪標住吉神社(みおつくしすみよしじんじゃ)は、大阪府大阪市此花区伝法に鎮座する神社

伝法川跡の北岸(右岸)に鎮座する。伝法の集落は伝法川を境に北組と南組に分かれていたが、当社は北組の鎮守にあたる。

祭神

歴史

拝殿

社名は、浪速津の川口に建てられた澪標に因る。 浪華八十島の1つで、延暦23年(804年遣唐使の一行がこの島の景勝に感じて、航海の安泰を祈願するために島の一角に住吉四柱神を奉祀。島民が祭壇跡に祠を建立して帰路の印に澪標を建てたという。 中世には京へは大物の浦より神崎川を遡行して寂れたが、豊臣秀吉大坂城築城では伝法口として湾内随一の要津となり、また、水質にも恵まれ、灘五郷に先駆して酒造の本場となり、江戸時代には樽廻船で販路は江戸・東北・北海道に及び、航海の守護神として崇敬された。

  • 明治5年(1872年)村社に列す。
  • 明治42年(1909年)12月18日伝法5丁目の村社住吉神社(住吉四神)を合祀。
  • 明治44年(1911年)神饌幣帛料供進社に指定される。

境内

周辺

交通アクセス

出典



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