外村繁とは? わかりやすく解説

とのむら‐しげる【外村繁】

読み方:とのむらしげる

[1902〜1961小説家滋賀生まれ本名、茂。江州商人である自家の歴史描いた作「草筏(くさいかだ)」の他に「筏」「澪標(みおつくし)」などがある。


外村繁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/05 23:18 UTC 版)

外村 繁
(とのむら しげる)
第1回芥川賞の候補となった外村
1935年(昭和10年)、満32歳のとき
誕生 外村 茂(とのむら しげる)
1902年12月23日
滋賀県神崎郡南五個荘村
死没 (1961-07-28) 1961年7月28日(58歳没)
東京都文京区湯島
墓地 石馬寺
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本
教育 経済学士東京帝国大学
最終学歴 東京帝国大学経済学部卒業
活動期間 1933年 - 1961年
ジャンル 私小説
代表作 『草筏』(1938年)
『筏』(1956年)
『花筏』(1957-58年)
『落日の光景』(1960年)
『澪標』(1960年)
主な受賞歴 池谷信三郎賞(1938年)
野間文芸賞(1956年)
読売文学賞(1961年)
デビュー作 『鵜の物語』(1933年)
配偶者 八木下とく子(1933年[1] - 1948年)
金子てい(1950年 - 1961年)
子供 4男1女
ウィキポータル 文学
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外村 繁(とのむら しげる、1902年明治35年〉12月23日 - 1961年昭和36年〉7月28日)は、日本小説家。本名は外村 茂(とのむら しげる)。東京帝国大学経済学部卒。出自である近江商人の世界を客観的に描いた『草筏』で注目され、『筏』『花筏』と共に長編三部作を成して高く評価された。『落日の光景』『澪標』は私小説の極致と評される。

来歴

滋賀県神崎郡南五個荘村金堂(現・東近江市五個荘金堂町)出身。金堂は近世から近代にかけて近江商人発祥地として栄えた土地である。外村家も江戸時代から代々続く木綿問屋で、茂は外村吉太郎の三男として生まれ、保守的な環境で育つ。滋賀県立膳所中学校卒業。第三高等学校文科甲類卒業。東京帝国大学経済学部卒業(本人は文学部志望であったが、親の意向で経済学部に進学していた)。

大学在学中の1925年(大正14年)1月、第三高等学校時代から「三高劇研究会」で親交のあった梶井基次郎中谷孝雄らと同人誌『青空』を創刊した[2]。11月に川端康成の同人誌『文藝時代』から文芸時評を依頼されて寄稿するが、名前を誤植され「外村繁」と印刷されたため、以後それを筆名とした[3]

大学卒業後、父親が急逝したため家業を継ぐが、やがて弟に家業を譲り、1933年(昭和8年)に阿佐谷へ移って小説家として再出発、「阿佐ヶ谷文士村」に入った。『鵜の物語』を発表。中谷の紹介で『麒麟』同人となる。

1935年(昭和10年)、当時連載途中だった『草筏』で第1回芥川龍之介賞候補となる。『草筏』は1938年(昭和13年)に完結し、第5回池谷信三郎賞を受賞。また、『草筏』完結時に再び第8回芥川龍之介賞予選候補となるが、先に池谷信三郎賞受賞が決定したことも影響し、受賞することはなかった。

戦後『筏』と『花筏』を発表し、『草筏』とともに「筏三部作」と呼ばれるようになる。『筏』で1956年(昭和31年)の第9回野間文芸賞を受賞したほか、1961年(昭和36年)には『澪標』で第12回読売文学賞を受賞している。

また、1949年(昭和24年)に同郷の辻亮一から「異邦人」を見せられた際、『新小説』に同作を掲載するよう推薦した。外村の推薦により「異邦人」は『新小説』に掲載され、翌年、同作によって辻は芥川龍之介賞を受賞している。

1961年(昭和36年)7月28日、上顎癌のため東京医科歯科大学医学部附属病院で死去[4]

家族

最初の妻である八木下とく子とは、帝大在学中の1924年(大正13年)春に、とく子が女給をしていた六本木のカフェーで知り合い、親からの勘当状態のなかで同棲生活を送っていた[5][2]。その後とく子は、心臓病と戦中戦後の栄養失調によって1948年(昭和23年)に死去。

1950年(昭和25年)に文部省職員の金子てい(貞子)と再婚するが、1957年(昭和32年)に外村が、1960年(昭和35年)にていが相次いでと診断され、夫婦で闘病生活を送った。外村との死別から4か月後、ていも乳癌で死去した。

長男は遺伝学者の外村晶(1926-2004)で[6]北海道大学理学博士東京医科歯科大学名誉教授、NPO法人「食品と暮らしの安全基金」の世話人代表。

顕彰

滋賀県東近江市にある五個荘近江商人屋敷 外村繁邸

現在、外村繁の生家は「五個荘近江商人屋敷 外村繁邸」として保存・公開されている。「外村繁邸」の蔵では「外村繁文学館」として外村にまつわる資料を展示し、その業績を顕彰している[7][8]

著作

  • 『鵜の物語』(1933) 砂子屋書房、1936 
  • 『草筏』(1935–38) 砂子屋書房、1938  ‐ 池谷信三郎賞
  • 『春秋』赤塚書房 1939
  • 『風樹 外村繁短篇小説傑作集』人文書院、1940 
  • 『白い花の散る思ひ出 小説集』ぐろりあそさえて、1941 
  • 『日本合戦史話』陸軍画報社、1943 
  • 『日本の土』大観堂、1943 
  • 『紅葉明り』世界社、1947 
  • 『父の思ひ出』小山書店、1948
  • 『愁いの白百合』偕成社、1949。山本さだ絵  
  • 『早春日記』河出書房、1949
  • 『夢幻泡影』(1949)
  • 『春の夜の夢』(1949)
  • 『最上川』(1950)
  • 『赤と黒』(1953)
  • 『夕映え』(1954)
  • 『筏』(1954–56) 三笠書房、1956。のち新潮文庫 新装復刊1994 ‐ 野間文芸賞
  • 『岩のある庭の風景』(1954) 大日本雄弁会講談社、1957 
  • 『愛のうた』光書房 1958
  • 『花筏』(1957–58) 三笠書房、1958 
  • 『入門しんらん 新しき親鸞発見のために』普通社、1959
  • 『春・夏・秋・冬』新創社、1959
  • 『酔夢朦朦』(1960)
  • 『澪標』(1960) 講談社読売文学賞
  • 『落日の光景』(1960) 新潮社、1961
  • 『濡れにぞ濡れし』(1960–61) 講談社、1961  
  • 『日を愛しむ』(1961、絶筆)
  • 『阿佐ケ谷日記』新潮社、1961
  • 『夕映え』角川書店、1961
  • 外村繁全集』全6巻 講談社、1962
  • 『澪標・落日の光景』新潮文庫、1962
  • 『澪標・落日の光景』講談社文芸文庫 1992

脚注

  1. ^ ただし、1924年に出会い、1926年以降、郷里の反対に遇ったため、内縁の妻状態となっており、その間に子供を生んでいる。この1933年は籍を入れた年である。
  2. ^ a b 「第七章 天に青空、地は泥濘――本郷と目黒にて」(大谷 2002, pp. 137–161)
  3. ^ 「第八章 冬至の落日――飯倉片町にて」(大谷 2002, pp. 162–195)
  4. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)224頁
  5. ^ 「第一部 第一章 同人たち」(柏倉 2010, pp. 9–21)
  6. ^ 中谷孝雄「招魂の賦」
  7. ^ 五個荘近江商人屋敷 外村繁邸”. 東近江市ホームページ (2019年10月23日). 2020年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月22日閲覧。
  8. ^ 五個荘近江商人屋敷 外村繫邸”. 東近江市観光Web. 2023年11月22日閲覧。

参考文献

関連文献

外部リンク


外村繁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「外村繁」の解説

三高後輩(基次郎2度落第のため卒業同年)。外村は文甲。基次郎入った三高劇研究会にほどなくして入部してきて交流始まった。『青空』の創刊メンバー。基次郎一緒に青空15号を直に島崎藤村宅に献呈に行く際に、ふだん制帽被らない外村が気になった次郎は、古い友人から制帽をもらい受けてきたが、それを気の強い外村に渡すかどうか迷ってしまった。その話をその友人から聞いた外村急いで次郎ところに行き帽子もらったその時次郎は、ほっとしたように、大きな手で髪をかき上げたという。

※この「外村繁」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「外村繁」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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