安藤守就(あんどう もりなり) ????~1582
◇父:伊賀伊賀守定重?安藤守利? 弟:安藤(蒲生)将監直重 子:安藤尚就、守重、高屋越後(筑後)
美濃・北方城主。美濃・斎藤氏に仕え、“西美濃三人衆”と呼ばれた豪族の1人。女婿竹中重治の稲葉山城奪取の際にはこれに協力。しかし、尾張・織田氏が美濃を奪った際には、この西美濃三人衆が織田方に内通し、これに協力した。その後、織田氏家臣として近江・姉川の合戦では勇戦し、近江、伊勢と各地を転戦したが、1579年嫡子尚就が甲斐・武田氏に内通した罪で、3人の息子共々粛正され、遠国流罪を宣せられた。本能寺の変後、旧領回復の為蜂起するが、稲葉良通に討たれる。
安藤守就
安藤守就(あんどう もりなり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 18:26 UTC 版)
「センゴク兄弟」の記事における「安藤守就(あんどう もりなり)」の解説
通称は伊賀守。美濃三人衆の一人で重治の義父。龍興に諫言を繰り返すものの聞き入れられず、謹慎を命じられる。半兵衛の稲葉山城を乗っ取り後は、共に稲葉山城の政務を執り行う。
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