今川支配下の主家・松平宗家を支える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/01 07:46 UTC 版)
「本多広孝」の記事における「今川支配下の主家・松平宗家を支える」の解説
天文18年(1549年)、これより先田原戸田氏の陰謀により尾張の織田氏に拘束されていた松平竹千代(後の徳川家康)を奪還するために、織田方にあった安祥城を今川軍の先鋒衆の最前で戦って奪い返し城将・織田信広を捕らえた。結果として、信広と竹千代との人質交換の実現に寄与した。その後も主君・松平広忠夭折により今川家に従属を余儀なくされた松平氏の先鋒を率いて織田氏との数多の戦に功績を積み、その一方で今川義元に駿府で人質として留め置かれている松平竹千代の岡崎帰城を頻りに嘆願したが、義元の在世中にその望みが受け入れられることはなかった。
※この「今川支配下の主家・松平宗家を支える」の解説は、「本多広孝」の解説の一部です。
「今川支配下の主家・松平宗家を支える」を含む「本多広孝」の記事については、「本多広孝」の概要を参照ください。
- 今川支配下の主家・松平宗家を支えるのページへのリンク