今川家家臣として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 14:05 UTC 版)
父である富士信忠と行動を共にし、今川氏に属した。信忠が城主であった大宮城(富士城)に籠り、武田勢と対峙した。元亀2年(1571年)に今川氏真により暇を与える旨の感状が信通に発給されると、富士氏は今川氏から離れることとなった。文書では「忠信之至也」と富士氏の忠信を賞した上で「東西於何方、進退可相定本意之時者」とあり、円満に許された離脱であった。氏真により他家に就くことを許された後、富士氏は武田氏に属することとなる。
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