今川家家臣
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太原雪斎(たいげん せっさい) 演:佐野史郎 今川家の軍師。臨済宗の僧。同じ宗派の僧として誼のある南渓からの働きかけもあって、駿府に人質として召し出されたおとわが井伊谷に戻れるための助勢をする。 関口氏経(せきぐち うじつね) 演:矢島健一 義元や氏真の側近くに仕えている。桶狭間の戦い後の裏切り・離反相次ぐ今川家の苦境にも変わらず仕え続ける。今川に表向きは恭順の姿勢を見せている政次とは誼を結んでいる。取次役を務めることもあり、主君氏真の下知を井伊谷に伝える使者ともなる。 政次以外の井伊の者には敵対的な態度で臨んでいたが、27回で方久の口車に乗せられて気賀にまつわる利権の一部を融通されることで、直虎の気賀の城主への推挙に賛成することになり、政次には収賄という弱みを握ったと認識されている。 井伊谷取り潰しに繋がる徳政令再発布要求の使者となり、実は寿桂尼に警戒されていた政次が、あくまで表面は徹底的な恭順姿勢を見せてきたため彼に井伊家追放後の井伊谷を任せ、武田との戦が始まると自身は武田に内通し氏真を裏切ってしまう。 佐名(さな) 演:花總まり 井伊直平の娘。井伊直満と南渓和尚の妹。今川家家臣・関口氏の妻で、瀬名の母。 直平自慢の美貌の娘であったが、政直の差し金で今川家からの名指しで人質として召し出され、義元の寵愛を受けてのち家臣の妻となる。 娘の瀬名が婿の松平元康の手配した人質交換で駿府を離れる際、今川を手に入れるよう言い残し、その後ほどなくして娘婿の離反の責のため自害して世を去った。 岩松(いわまつ) 演:木村祐一 検地奉行。井伊家の領地に派遣される。不愛想で人付き合いも悪いが、数と算術と先立たれた妻だけは愛していた。得意の算術を活かし真面目かつ実直に職務にあたる。時折、竹千代(松平元信)にも算術を教えていた。 井伊家の皆で隠そうと画策していた川名の棚田を見つけてしまうが、「かつて南朝の皇子の隠れ里であったので、井伊の物という扱いになっていない」という政次のその場の言い逃れの説明を汲んで受け入れる。 庵原助右衛門(いはら すけえもん) 演:山田裕貴 今川家重臣。太原雪斎の一族。桜の夫となる。 縁談にあたり、直虎と面談し直虎が今川界隈で領主として評価されていることを伝え、また衰退する今川にあっても最後まで忠義を貫くことが庵原としての生き残る道と覚悟を定めていることなどから、桜の夫として直虎や南渓から好ましい人物と評価されている。のちに織田家に仕え、その滅亡後は徳川家に仕えることとなり、終盤では直政の配下に任命される。 水野(みずの) 演:長江英和 尾張国知多の国衆。通称は弥平大夫。徳川家康の母方の伯父。寿桂尼の見定めに基づき、駿府に呼び出された上で斬殺され、首は山県昌景に渡される。 朝比奈泰勝(あさひな やすかつ) 演:ヨシダ朝 今川家家臣。武田に遠江を渡せという無茶な要求に怒り、内通者の首を交渉役の山県に投げつけたことで、氏真に武田との交戦の決意をさせることになる。 戦国大名としての今川家が潰れた後に、北条を経て徳川の庇護下に入った氏真の上洛や京暮らしにも付き従っている。 長篠の戦いでは徳川配下の今川勢として参陣し、戦後の手柄改めの場では、家康に武田方の名将内藤昌秀を討ち取ったことを必死に訴えている。
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