井伊直平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 20:26 UTC 版)
井伊 直平(いい なおひら)は、戦国時代の武将。今川氏の家臣。遠江国の国人・井伊氏16代当主。井伊直虎・井伊直政の曾祖父[8]。一説には、徳川家康の正室・築山殿の外祖父に当たると言われる[9]。その場合、直平は松平信康の曾祖父になる[10]。
注釈
- ^ 各種系図では実子か養子かの記載が無いが、龍潭寺が所蔵する『南渓過去帳』には「実田秀公居士 南渓父」と記されており、直平の法名(桂雲院殿西月顕祖大居士[2])とは異なるため、南渓は養子と推定されている[7]
- ^ a b 『井伊家伝記』(享保15年、龍潭寺九世祖山法忍著)および『井伊直平公御一代記』(『引佐町資料』第1集)は享年75、墓碑銘(『引佐町史』)には享年85とある。75歳であれば延徳元年(1489年)生まれ、85歳であれば文明11年(1479年)生まれとなる。
- ^ 直宗はすでに直平から家督を譲られ井伊家当主となっている。
- ^ 「8.井保十三代、井伊信濃守直平、遠州引馬の城主に成る事」[16]
出典
- ^ a b c d 『寛政重修諸家譜 第4集』、1111頁、564コマ目。
- ^ a b c d e 『井伊氏系図』、2コマ目(直平 共保十三代)。
- ^ “龍潭寺境内墓所図(井伊家歴代・龍潭寺歴代住職 南渓・傑山・昊天・家臣)”. 龍潭寺. 2017年9月27日閲覧。
- ^ a b “ゆかりの地|井伊直虎サイト”. 「おんな城主 直虎」推進協議会. 浜松市産業部観光・シティプロモーション課. 2017年9月27日閲覧。
- ^ a b “井平城(浜松市北区引佐町伊平) 武田の予想超える行軍裏付け”. 産経新聞 (産経新聞社). (2017年5月7日) 2017年9月27日閲覧。
- ^ 『井伊年譜』1巻、19-20コマ目。
- ^ 小和田 2016, p.94.
- ^ 楠戸 2016, pp.169-170,266-267.
- ^ 『井伊年譜』『系図纂要』『井家粗覧』
- ^ 『井伊年譜』1巻、45コマ目。
- ^ a b 『静岡県史資料編7』436,548頁。
- ^ 『井伊氏家系史考』
- ^ 『井伊家伝記』上、11-12コマ目。
- ^ 『井伊家伝記』上、12コマ目。
- ^ 千葉篤志 著「相次ぐ一族・家臣の死と、直虎登場の背景とは?」、歴史と文化の研究所 編『井伊一族のすべて』洋泉社、2017年、47頁。
- ^ 『井伊家伝記』上、9-11コマ目。
- ^ 『細江町史』
- ^ a b c d 『井伊家伝記』上、22-23コマ目。
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