朝比奈泰以とは? わかりやすく解説

朝比奈泰以

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 23:15 UTC 版)

 
朝比奈泰以
時代 室町時代後期 - 戦国時代
死没 永正15年8月3日1518年9月7日
別名 弥三郎、十郎
墓所 静岡県静岡市葵区長源院
官位 左京亮(受領名)
主君 今川氏親
氏族 朝比奈氏
父母 朝比奈吉俊
兄弟 泰煕泰以、氏泰、時茂
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朝比奈 泰以(あさひな やすもち)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将今川氏の家臣。

生涯

永正9年(1512年)、兄・朝比奈泰煕が死去し、その子である泰能が家督を継ぐと、泰以は泰能の後見を務めた。

今川氏は遠江国の支配権をかけて同国守護斯波義達と敵対していた。翌10年(1513年)には、甥の名代として朝比奈軍を率い参戦。井伊直平曳馬城主・大河内貞綱らの斯波軍との戦いでは、これに勝利した。

永正15年(1518年)8月3日死去[1]。泰以には男子が無く系統は絶えた。

脚注

  1. ^ 『駿国雑志』




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