宍戸元源とは? わかりやすく解説

宍戸元源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 07:59 UTC 版)

 
宍戸元源
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文11年12月22日[1]1543年1月27日
戒名 一叟道清(法名)[1]
墓所 理窓院跡(広島県安芸高田市甲田町[1]
官位 従五位下[1]安芸守[1]雅楽頭[1]
主君 大内義興義隆
氏族 藤原北家道兼流宍戸氏
父母 父:宍戸元家(安芸守)
兄弟 元源、深瀬隆兼司箭院興仙、女(江田隆貫室)[2]、女(佐々部通祐室)[2]
正室:山内豊成の娘[1]
継室:坂広明の娘[1]
元家(弥三郎)[2]末兼隆忠[2]、中所元久、吉川興経正室、乃美隆興[2]、粟屋孝俊室[2]
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宍戸 元源(ししど もとよし)は、戦国時代武将安芸国国人である宍戸氏の当主。安芸国高田郡甲立[3]五龍城を居城とした。豪放な性格で、猛将として広く知られていたという。

生涯

安芸国の国人・宍戸氏の当主である宍戸元家(安芸守)の嫡男として生まれ、永正元年(文亀4年、1504年)に父・元家が隠居し、家督を継ぐ。

弟の家俊は司箭院興仙と名乗って管領細川政元の近臣となり、その子孫も細川氏京兆家に仕えたため、元源は中央と独自の人脈を持っていた[4]

大内義興の上洛には、他の安芸の国人たちと共に参加し、永正8年(1511年)の船岡山合戦にも参戦した。帰国後は、近隣の国人毛利氏と度々抗争を繰り広げており、安芸国人衆が毛利興元を中心に国人一揆を結んだときも元源はこれに参加せず、独立性を保った。

その後、毛利元就高橋氏の旧領の一部を割譲するなどして元源に接近し、天文3年(1534年)に嫡孫・隆家の妻に元就の娘(五龍局)を迎え、毛利氏と和睦した。

元源と細川氏とのつながりは毛利氏としても無視できないものがあり、毛利興元と細川澄元が関係を結んだ際も、毛利元就が細川晴元と関係を結んだ時もいずれも元源が間に入っている[4]

嫡男・元家は永正15年(1518年6月18日に元源より先に陣没していたため家督を巡って争いが起き、讒言により嫡孫の隆家が叔父にあたる隆忠を殺害するという悲劇にも見舞われている。天文7年(1538年)に元源は老齢のため隠居し、家督は隆家が継いだ。天文9年(1540年)から天文10年(1541年)にかけて尼子晴久が毛利元就を攻めた吉田郡山城の戦いの際に、元源は五龍城で留守を守った。

天文11年(1542年12月22日に五龍城で死去[1]

関連作品

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 田村哲夫編修 1980, p. 59.
  2. ^ a b c d e f 田村哲夫編修 1980, p. 60.
  3. ^ 現在の広島県安芸高田市甲立。
  4. ^ a b 馬部隆弘「細川晴元に対する交渉と取次」(初出:『大阪大谷大学歴史文化研究』第17号(2017年)/所収:馬部『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02950-6) 2018年、P466-476.

参考文献

関連項目

先代
宍戸元家
安芸宍戸氏当主
1504年 - 1538年
次代
宍戸隆家

宍戸元源(ししど もとよし)

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毛利元就 誓いの三矢」の記事における「宍戸元源(ししど もとよし)」の解説

安芸五龍城城主毛利家とは犬猿の仲だったが後に和解する。(弓騎兵

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