毛利軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 01:27 UTC 版)
1月13日の早朝、城外の小早川興景・宍戸元源らと呼応した毛利軍総勢3,000が、ついに宮崎長尾の尼子陣に攻撃を開始する。この時、元就次男の少輔次郎(後の吉川元春)が初陣を果たしている。毛利方はほぼ全軍を投入する戦いであったため、百姓や女子供を守備兵に見せかけて城の随所に立たせ、守りが堅固であるように見せかけた。尼子方の先鋒であった高尾隊2,000は必死に防戦するが、久友は討ち死にして軍勢は敗走。続いて、第二陣の黒正隊1,500の兵も壊滅して久澄は逃亡した。しかし、第三陣で待ち構える吉川興経は精鋭1,000の手勢で奮戦し、毛利軍に猛反撃を加えた。戦いは日没まで及ぶが毛利軍は突破できず、元就は兵を撤退させた。毛利軍は、高尾久友や三沢蔵人など200余名を討つ戦果をあげて城に凱旋した。
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