毛利軍の九州侵攻、及び尼子再興軍の雲州侵攻
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「布部山の戦い」の記事における「毛利軍の九州侵攻、及び尼子再興軍の雲州侵攻」の解説
尼子氏を滅ぼし、中国地方をほぼ手中に収めた毛利氏が次なる目標に定めたのは、北九州を治める大友氏の討伐であった。永禄11年6月(1568年7月)、元就は伊予国に出兵していた吉川元春・小早川隆景の両軍を本国である安芸国に帰還させると(毛利氏の伊予出兵)、同年8月に両将を北九州へ派遣し大友氏の討伐を開始する。永禄12年4月(1569年5月)には、元就も居城である吉田郡山城を発ち長門国へ向けて出陣する。そして同年5月に長府に入ると、ここに本陣を構えて大友氏討伐の拠点とした(多々良浜の戦い)。このとき、元就の出陣にあわせ山陰地方の多くの国人達にも九州への出兵が命じられており、山陰地方の毛利領の警備は手薄となっていった。 一方、滅亡した尼子氏であったが、尼子諸牢人の中には一族の再興を目指す者がいた。その中心となった人物が山中幸盛である。 永禄11年(1568年)、幸盛は各地を放浪した後に京へ上ると、京の東福寺で僧となっていた尼子氏一門の尼子誠久の遺児・尼子勝久を還俗させ、尼子再興軍の大将として擁立する。そして各地の尼子遺臣らを集結させると、密かに尼子家再興の戦いを企てていた。 永禄12年6月23日(1569年8月6日)、毛利氏が大友氏を攻撃するため北九州へ軍を派遣すると、挙兵の機会をうかがっていた幸盛ら尼子再興軍は出雲国へ侵攻を開始する。尼子再興軍は但馬国から数百艘の船に乗って海を渡り島根半島に上陸すると、近くにあった忠山(ちゅうやま)の砦を占拠する。勝久ら尼子再興軍がここで再興の檄を飛ばすと、国内に潜伏していた旧臣らが続々と集結し5日の内に3,000余りの軍勢になったという。そして同月下旬、幸盛ら尼子再興軍は多賀元龍が籠もる新山城(真山城)を攻略する。続いて宍道湖北岸に位置する末次(島根県松江市末次町。現在の松江城の建設地。)に城を築いてここを拠点(末次城)とすると、山陰地方の各地で合戦を繰り広げつつ勢力を拡大していった(尼子再興軍の雲州侵攻)。
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毛利軍の九州侵攻、及び尼子再興軍の雲州侵攻
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「月山富田城の戦い」の記事における「毛利軍の九州侵攻、及び尼子再興軍の雲州侵攻」の解説
尼子氏を滅ぼし、中国地方をほぼ手中に収めた毛利氏が次なる目標に定めたのは、北九州を治める大友氏の討伐であった。永禄11年6月(1568年7月)、元就は伊予国に出兵していた吉川元春・小早川隆景の両軍を本国である安芸国に帰還させると(毛利氏の伊予出兵)、同年8月に両将を北九州へ派遣し大友氏の討伐を開始する。永禄12年4月(1569年5月)には、元就も居城である吉田郡山城を発ち長門国へ向けて出陣する。そして同年5月に長府に入ると、ここに本陣を構えて大友氏討伐の拠点とした(多々良浜の戦い)。このとき、元就の出陣にあわせ山陰地方の多くの国人達にも九州への出兵が命じられており、山陰地方の毛利領の警備は手薄となっていった。 一方、滅亡した尼子氏であったが、尼子諸牢人の中には一族の再興を目指す者がいた。その中心となった人物が山中幸盛である。永禄11年(1568年)、幸盛は各地を放浪した後に京へ上ると、京の東福寺で僧となっていた尼子氏一門の尼子誠久の遺児・尼子勝久を還俗させ、尼子再興軍の大将として擁立する。そして各地の尼子遺臣らを集結させると、密かに尼子家再興の戦いを企てていた。 永禄12年6月23日(1569年8月6日)、毛利氏が大友氏を攻撃するため北九州へ軍を派遣すると、挙兵の機会をうかがっていた幸盛ら尼子再興軍は出雲国へ侵攻を開始する。尼子再興軍は但馬国から数百艘の船に乗って海を渡り島根半島に上陸すると、近くにあった忠山(ちゅうやま)の砦を占拠する。勝久ら尼子再興軍がここで再興の檄を飛ばすと、国内に潜伏していた旧臣らが続々と集結し5日の内に3,000余りの軍勢になったという。 そして同月下旬、幸盛ら尼子再興軍は多賀元龍が籠もる新山城(真山城)を攻略すると、続いて宍道湖北岸に位置する末次(島根県松江市末次町。現在の松江城の建設地。)に城を築いてここを拠点(末次城)とした(尼子再興軍の雲州侵攻)。
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