毛利軍が高松城を救援しなかった理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)
「センゴク」の記事における「毛利軍が高松城を救援しなかった理由」の解説
高松城では清水宗治が水攻めに耐え籠城中。宗治は小早川隆景から「籠城策により厭戦の気分を生み出し、和睦の道を探る。羽柴は大きくなり、やがて信長に牙を剥くであろう」と言い含められていた。毛利・吉川・小早川4万の大軍が高松城救援に着陣する。「堤を破壊するべし」の声が毛利陣内に起こるが、戦場を観察した吉川元春はそれでは敵の包囲圏内に飛び込むことになると識る。羽柴軍の守りは固く堤の破壊も救援も困難と判断したのである。なお、堤は12 - 19日間という短期間で作られた。これは堤の長さが300m程度に過ぎないから可能であったとの解釈を作者は示している。
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