山中幸盛とは?

山中幸盛(やまなか ゆきもり) 1544~1578

○甚次郎 鹿介 亀井氏
◇父:山中三河守満幸 室:亀井秀綱女 子山中新六幸元
 出雲尼子氏重臣山中氏は尼子氏傍流。天に「我に七難八苦与えたまえ」と祈ったこと有名。1563年安芸毛利氏攻略を受けた際、その臣品川大膳一騎打ち行い、無事討ち取った。尼子氏滅亡後は、尼子十勇士筆頭格として主家再興謀り織田信長支援を受けて尼子勝久擁立出雲因幡等に入国するも、毛利氏激し抵抗に遭い失敗最後信長にも見捨てられ、播磨上月城にて降伏護送殺害された。

山中幸盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/16 02:52 UTC 版)

山中 幸盛(やまなか ゆきもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方武将尼子氏家臣通称鹿介(しかのすけ)[注釈 1]。巷間では山中鹿介の名でよく知られる。幼名は甚次郎[注釈 3](じんじろう)。尼子三傑の1人。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。







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