雲陽軍実記とは? わかりやすく解説

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雲陽軍実記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 06:26 UTC 版)

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雲陽軍実記』(うんようぐんじつき)は、出雲国戦国大名であった尼子氏の歴史を記した歴史書で、日本の古典文学の1つである。

概要

出雲国に勢力を張った尼子氏の盛衰を描いた歴史書で、尼子家臣の河本大八隆政(1521年~没年不詳)が大名としての尼子氏滅亡後の1580年頃に著したとされる。 隆政の死後、同族の河本隆任の子孫に伝えられた。

評価

歴史書としては、尼子氏滅亡直後に書かれた点で一級の資料であり、毛利側の『陰徳太平記』と対を成す、尼子側の諸将の心情をよく表している書と言える。1542年に尼子軍が大内軍との戦闘で、火縄銃を20挺実戦に投入し、大内軍に死者が出た等、鉄砲伝来とされる1543年以前に尼子氏が火縄銃を導入していたという新たな事実も散見できる。

しかし、他の軍記物同様、脚色や歴史的史実との相違も指摘されている。例として本書では尼子晴久の生年が1508年とされているが、一般的には採用されていない。そして、京極修理大夫の娘とされる尼子義久の妻も、本書では多岐の寺で剃髪し尼僧になったとされているが、実際は月山富田城開城2日前に死去(病死、もしくは投降前に自害・殺害)している。また、著者である河本隆政自体も吉田郡山城の戦い以降尼子家臣から離脱して城安寺にて隠遁しており、大内義隆偏諱を受けたと思われる名前から見ても分かるように大内氏寄りの武将であったことも加味せねばならない。

その記述の信憑性に問題があるとされる、香川宣阿の『陰徳太平記』や近世初頭に成立した『甲陽軍鑑』と同様に、この当時の歴史書の例に漏れず、著者の強い思いを反映させた史書といえるが、それを差し引いても余りある一級資料である。

関連項目

参考文献

  • 雲陽軍實記: 全 / 河本静楽軒著; 布野勝太郎編. 松江: 布野勝太郎, 1911.9.
  • 雲陽軍実記 / 河本隆政(静楽軒)著; 井原大之助編. 松江: 松陽新報社, 1911.11.
  • 雲陽軍實記 / 河本静楽軒著. 松江: 島根郷土資料刊行会, 1973.4.
  • 尼子毛利合戦雲陽軍実記 / 河本静楽軒著; 勝田勝年校注. 東京: 新人物往来社, 1978.12.

外部リンク


雲陽軍実記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 16:12 UTC 版)

弓浜合戦」の記事における「雲陽軍実記」の解説

合戦際し尼子軍は兵を2つ分けたのに対し毛利軍は兵を分けず挑んだ合戦は、尼子軍の将・森脇久仍本田家吉率い第1陣部隊と、毛利軍の将・杉原盛重率いるの2,000部隊との衝突により始まった。 この最初の衝突は、隘路地形たくみに利用して戦った毛利軍尼子軍圧倒した尼子軍第1陣敗れて引くと、次に入れ替わって戦ったのは第2陣控え山中幸盛立原久綱率いる1,000部隊であった。この第2陣尼子軍は、馬を四方立て弓鉄砲隊を密集させた九布陣敷いて毛利軍挑んだ。 この2度目戦いは、尼子軍毛利軍圧倒した毛利軍部隊維持できずに敗走始め、さらに10町(約10km)ばかり敗走した所で、第2陣後陣控えていた秋上宗信率い部隊横槍を入れられ、大崩となって壊走した。 壊走した毛利軍は弓浜(現在の鳥取県境港市米子市連なる弓ヶ浜半島。)まで逃げてくると、この地で部隊再編を図る。毛利軍の将・盛重は、小高い地に旗を掲げて敗軍の兵600700集めた。ところが、そこには尼子軍将・吉八郎左衛門率い遊軍伏兵部隊がいたため、さらに追撃を受け被害出しながら尾高城へと退却した

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「雲陽軍実記」を含む「弓浜合戦」の記事については、「弓浜合戦」の概要を参照ください。

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