熊谷直続とは? わかりやすく解説

熊谷直続

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 07:17 UTC 版)

 
熊谷直続
直続終焉の地、赤穴瀬戸山城
時代 戦国時代
生誕 永正7年(1510年
死没 天文11年6月7日[1]1542年7月19日
別名 通称:平蔵[1]、平三[1]
墓所 島根県飯石郡飯南町瀬戸山城付近
主君 武田元繁毛利元就
氏族 桓武平氏国香流熊谷氏
父母 父:熊谷元直[2]、母:不詳
兄弟 信直、女(白井房胤室)[1]
女(武田光和室、三須房清室)[1]直続
女(熊谷直清室)
養子:直清
テンプレートを表示

熊谷 直続(くまがい なおつぐ)は、戦国時代の武将。安芸の国人で安芸武田氏家臣・熊谷元直の子。熊谷信直の弟。三入観音寺山城主。

生涯

永正7年(1510年)、安芸国の国人・熊谷氏の当主である熊谷元直の次男として生まれる。

直続がまだ幼少である永正14年(1517年10月22日に父・元直が討死し、成長後は兄・信直に従い、各地を転戦した。

天文11年(1542年)、大内義隆による出雲侵攻に従い、赤穴氏瀬戸山城攻略中に赤穴光清の手勢と戦い、同年6月7日に討死した。兄の子で、婿養子となっていた直清が跡を継いだ。

脚注

注釈

出典

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「熊谷直続」の関連用語

熊谷直続のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



熊谷直続のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの熊谷直続 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS