熊谷直貞 (熊谷氏祖)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 14:08 UTC 版)
熊谷 直貞(くまがい なおさだ)は、平安時代末期の武将。通称は二郎大夫。熊谷氏当主であり、熊谷氏の始祖にあたる。子に熊谷直実など[2]。
- ^ 生没年は不明だが、平盛方を父とする系図においては、父盛方が処刑された年、息子直実の生年、死亡時の年齢などから計算して、大治元年(1126年)生まれ、康治元年(1142年)に死去したとするものが一般的である。異説として、没年に仁平元年(1151年)11月8日、仁平3年(1153年)3月18日の両説が伝えられる。
- ^ a b 今井尭ほか編 1984, p. 335.
- ^ この説によれば鎌倉幕府執権の北条氏と同族である。
- ^ この3説それぞれの中にも、系図によってかなり大きく異なった多様な異説が存在する。
- ^ あるいは佐渡に流罪ともいわれる。実際に直貞には弟が3人もいたという系図もある。
- ^ 熊退治の話は苗字にこじつけた創作と思われる。
- ^ 死亡時の年齢は17歳説の他に18歳、57歳、67歳、86歳の各説が伝えられる。直実には弟や姉妹がいたとする系図もある。
- ^ 別説に左近衛将監中原師直の娘、ただし大外記中原師直とは別人。
- ^ 青木氏は丹党の武士。
- ^ 久下直光の妻の姉妹でもある。別説に丹党の勅使河原重直の娘ともいう。
- ^ 正確には、平維方の子に兄聖範と弟盛方の兄弟あり、聖範の子の平時方は祖父維方の養子となり、その時方の子が俊則である。
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