山中幸盛との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:53 UTC 版)
鴻池家の家伝によれば、始祖の鴻池新六は尼子氏家臣の山中鹿介(幸盛)の子とされる。 4代鴻池善右衛門宗貞は、寛保2年(1742年)に大徳寺玉林院に山中幸盛の位牌堂として南明庵を建立している。鴻池善右衛門家(旧男爵家)は『平成新修旧華族家系大成』に「当家は山中鹿之助の二男幸元が摂津鴻池村に住居して興ったといわれる」と記している。 一方、鴻池家の家伝を疑う見解もある。 山中幸盛の実子は娘の八重のみで男子はなかったとする説があり、1937年(昭和12年)には八重の直系の子孫である山中三郎と鴻池家が、どちらが正統な山中幸盛の直系の子孫か争って裁判となった。その結果、山中三郎が正統な山中幸盛の直系の子孫であると判決が下った。
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