鴻池善右衛門家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:53 UTC 版)
「鴻池善右衛門」も参照 両替商として名をなした鴻池善右衛門家の初代・正成は、新六の八男である。 寛永2年(1625年)には正成は九条島にて海運業を始めた。大坂から江戸への酒積みが多量となり、陸路駄馬で運んでいては間に合わず、海上輸送を行うことにしたのである。海運業の創始によって、西国大名参勤交代の運輸や蔵物の取り扱いなど大名との取引関係が生じ、その関係から大名貸が始まった。明暦2年(1656年)には両替店を開店し、町人貸しや大名貸しで繁栄した。寛文10年(1670年)には幕府御用の両替商として、十人両替という地位にも就いた。鴻池は酒造・海運・金融(大名貸、両替商)という、一見相互に無関係の業務を営む形になった。 後に、鴻池は海運、酒造から手を引き、金融業と大名貸中心となり、成長を続けた。全国百十藩が鴻池家からの融資を受けていたと言われる。江戸時代にあっては、徳川家はもとより各藩に財務能力が乏しく、民間人である豪商に丸投げする形で財務管理を行った。升屋の山片蟠桃に典型的なように、債務を履行させるために豪商が人材を派遣し、藩政を大きく動かすこともしばしば行われた。大名貸し以外には、この時代に鴻池家が営んだ事業としては、3代目善右衛門宗利が着手した、鴻池新田の開発なども有名である。 幕末期には鴻池家の資産は銀五万貫にも達しており、「鴻善ひとたび怒れば天下の諸侯色を失う」とまで言われた。「鴻池の犬」という落語があるが、日本を代表する豪商として徳川期を通じて広く知られ、長く繁栄した。
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