鴻池家と文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:53 UTC 版)
鴻池善右衛門家は代々、茶人や文人趣味の当主を輩出し、表千家とも縁が深かった。とくに4代宗貞(宗羽、了瑛)は表千家7代宗左(如心斎)に師事し、奥義を究めたという。明治はじめの当主、10代幸富も「粋の神」と言われた当代随一の数寄者・千草屋平瀬露香と交友し、俳諧を好むといった風流人であった。明治・大正期を通じて、その邸では玄関先で鶴を飼っていたという。 3代目鴻池善右衛門宗利の弟又四郎は、彼自身も商家として大をなしたが、三星屋武右衛門・富永芳春(道明寺屋吉左右衞門)・舟橋屋四郎右衛門・備前屋吉兵衛らとともに、官許学問所懐徳堂の設立や運営にも力を貸したことで有名である。11代当主幸方の次男、鴻池幸武も並外れた通人で、浄瑠璃研究の第一人者として知られる。また、同族からも江戸時代に茶人鴻池道億(善三郎)、経済学者草間直方(伊助)、近代に文人上田竹翁らが出ている。
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