明治維新後の鴻池財閥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 16:53 UTC 版)
幕末から明治維新にかけての鴻池善右衛門家当主は、10代目の幸富である。 明治維新において、鴻池家は大名貸を帳消しにされて大きな損失を被ったとも、それほど大きな痛手は蒙らなかったとも言われる。しかし、鴻池家は維新後も、金融業から他の事業へ営業分野の拡大はあまり図らなかった。維新後のいろいろな起業の発起人には多く鴻池善右衛門(幸富)が名を連ねているが、同家の名声を利用するために誘い込まれたものも多い。明治以降の鴻池家の営業方針は堅実を旨としていたため、政商としての性格を色濃く持つ三井のように、藩閥政府の成長政策と歩調をあわせて急速に発展することはできなかった。1877年に善右衛門が設立した第十三国立銀行(のちに鴻池銀行)も他の諸銀行に次第に抜かれ、一地方銀行へと後退していった。 事業体としての鴻池財閥は、10代善右衛門の次男である鴻池新十郎が第2代総帥として采配を振った。善右衛門家は長らく日本有数の富豪としての地位を保ち、明治44年(1911年)には11代善右衛門(幸方)が男爵に叙爵されている。 第二次世界大戦後、財閥解体や農地改革によって鴻池家は甚大な被害を受けた。 往年の鴻池男爵家本邸の一部は、大阪美術倶楽部として残っていたが、2007年に解体された。
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