明治維新直後の学問所等と大学設置計画とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 明治維新直後の学問所等と大学設置計画の意味・解説 

明治維新直後の学問所等と大学設置計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:53 UTC 版)

旧制大学」の記事における「明治維新直後の学問所等と大学設置計画」の解説

明治政府による欧米諸国同等水準最高学府である大学創設計画は、まず京都国学中心に始められた。その後政治の中心東京に移るとともに東京洋学中心に展開された。 また、全国各地藩校私塾などを近代的な教育機関として改革する動き広がっていた。これらのあるものは、後に設立される旧制大学へと繋がっていくことになる。 1868年 4月4日 - 明治政府直轄高等教育機関として以下の機関復興京都学習院 以下の閉鎖され江戸幕府学問所復興昌平坂学問所昌平学校 医学所医学校 開成所開成学校 以下の機関改称京都学習院大学寮代 以下の機関分割大学寮代皇学所漢学所 1869年 以下の機関統合昌平学校医学校開成学校大学校昌平学校本校、旧医学校開成学校分局とする 1870年 以下の機関統合皇学所漢学所大学校代 以下の組織改称大学校大学(この「大学」は固有名詞であり、学位授与する高等教育機関である旧制大学指しているわけではないことに注意大学校分局(旧医学校)→大学東校 大学校分局(旧開成学校)→大学南校 以下の機関閉鎖独立大学本校閉鎖 大学東校独立 大学南校独立 以下の機関京都府移管大学校代 以下の機関大阪府より大学(後の文部省)へ移管大阪洋学校 大阪舎密局 大阪府医学校病院大阪医学校改称) 以下の組織改称大阪舎密局大阪理学校 以下の組織統合大阪洋学校大阪理学校→大阪開成所 1871年 文部省設置 以下の機関廃止改称大学廃止 大学東校→東校 大学南校→南校 工部省に以下の機関設置工学寮 以下の機関長崎府より文部省移管長崎広運館(旧・英語伝習所洋学所語学所→済美館広運館) 長崎府医学校長崎医学校改称

※この「明治維新直後の学問所等と大学設置計画」の解説は、「旧制大学」の解説の一部です。
「明治維新直後の学問所等と大学設置計画」を含む「旧制大学」の記事については、「旧制大学」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「明治維新直後の学問所等と大学設置計画」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明治維新直後の学問所等と大学設置計画」の関連用語

1
10% |||||

明治維新直後の学問所等と大学設置計画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明治維新直後の学問所等と大学設置計画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの旧制大学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS