明治維新直後の学問所等と大学設置計画
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「旧制大学」の記事における「明治維新直後の学問所等と大学設置計画」の解説
明治政府による欧米諸国と同等水準の最高学府である大学創設計画は、まず京都で国学中心に始められた。その後、政治の中心が東京に移るとともに東京で洋学中心に展開された。 また、全国各地で藩校や私塾などを近代的な教育機関として改革する動きが広がっていた。これらのあるものは、後に設立される旧制大学へと繋がっていくことになる。 1868年 4月4日 - 明治政府直轄の高等教育機関として以下の機関を復興京都学習院 以下の閉鎖された江戸幕府の学問所を復興昌平坂学問所→昌平学校 医学所→医学校 開成所→開成学校 以下の機関を改称京都学習院→大学寮代 以下の機関を分割大学寮代→皇学所+漢学所 1869年 以下の機関を統合昌平学校+医学校+開成学校→大学校旧昌平学校を本校、旧医学校・開成学校を分局とする 1870年 以下の機関を統合皇学所+漢学所→大学校代 以下の組織を改称大学校→大学(この「大学」は固有名詞であり、学位を授与する高等教育機関である旧制大学を指しているわけではないことに注意) 大学校分局(旧医学校)→大学東校 大学校分局(旧開成学校)→大学南校 以下の機関が閉鎖、独立大学本校→閉鎖 大学東校→独立 大学南校→独立 以下の機関を京都府へ移管大学校代 以下の機関が大阪府より大学(後の文部省)へ移管大阪洋学校 大阪舎密局 大阪府医学校病院(大阪医学校と改称) 以下の組織が改称大阪舎密局→大阪理学校 以下の組織が統合大阪洋学校+大阪理学校→大阪開成所 1871年 文部省の設置 以下の機関が廃止、改称大学→廃止 大学東校→東校 大学南校→南校 工部省に以下の機関を設置工学寮 以下の機関が長崎府より文部省へ移管長崎広運館(旧・英語伝習所→洋学所→語学所→済美館→広運館) 長崎府医学校(長崎医学校と改称)
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