明治維新時の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:59 UTC 版)
慶応4年(1868年)、幕府役人が去った長崎の管理を行うために、藩命を受けて長崎に赴任した。長崎では有力藩士との代表とともに仮政府を構成していたが、2月14日には朝廷より長崎裁判所総督澤宣嘉と参謀井上馨が赴任、引き継ぎを行った。まもなく裁判所参謀助役として、外国人との訴訟の処理にあたった。3月17日、徴士参与職、外国事務局判事に任ぜられた。大隈の回想によれば、井上馨が「天下の名士」を長崎においておくのは良くないと木戸孝允に推薦したためであるという。当時隠れキリシタンの弾圧である浦上四番崩れについて、各国政府との交渉が行われており、大隈はイギリス公使パークスとの交渉で手腕を発揮し、この問題を一時的に解決させた。12月18日には前任の小松清廉の推挙により、外国官副知事に就任している。
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