大学東校とは? わかりやすく解説

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だいがく‐とうこう〔‐トウカウ〕【大学東校】

読み方:だいがくとうこう

東京大学前身の一。幕末医学所医学校経て明治2年(1869)に改称したもの。東京医学校経て明治10年(1877)に東京大学医学部となった


大学東校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 03:28 UTC 版)

大学校 (1869年)」の記事における「大学東校」の解説

下谷御徒町の旧医学所跡に設置された。西洋医学教育担当し、「本校閉鎖後制定された「大学東校規則・舎則」によると普通教育履修する予科」と、予科修了した学生進学する専門課程の「本科からなり、両科はさらに正規課程履修する正則」と短期速修の「変則」に分けられていた。東校ではイギリス公使館附医師W・ウィリス教師としていたこともあって当初イギリス医学中心としていたが、設立当初からドイツ医学採用求め学内の声が高まり明治4年1871年7月、「東校」への改称後プロイセンよりミュレル・ホフマンらが招聘され教授として着任した慶應義塾出身松山棟庵慶應義塾医学所校長東京慈恵会医科大学創立者)も大学東校大教授として着任した。なお、この後印東玄得などは慶應義塾医学所ではイギリス医学試みたその後9月25日新暦11月7日)、東校は南校と同様にいったん閉鎖したのち学則改正し10月再開入学試験実施して学力優秀者の再入学許可した。さらに明治5年1872年7月変則全廃とともに予科本科における学科・課程改定が行われ、これ以後ドイツ医学への転換進行することとなった8月の「学制制定により東校は「第一大学区医学校」ついで「東京医学校」と改称されたが、ドイツ医学重視流れ東京大学医学部継承された。 下谷校地東京医学校継承されたが、その後病院所在地であった神田和泉町へ、ついで1876年明治9年)に東大医学部現在地である東大本郷校地移転された。

※この「大学東校」の解説は、「大学校 (1869年)」の解説の一部です。
「大学東校」を含む「大学校 (1869年)」の記事については、「大学校 (1869年)」の概要を参照ください。

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