「大学東校」時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 23:46 UTC 版)
詳細は「大学校 (1869年)#大学東校」を参照 明治2年12月17日(1870年1月18日)、大学校の「大学」改称にともない医学校は「大学東校」と改称されたが、翌3年7月12日(1870年8月8日)、内紛により大学本校が閉鎖され「大学」自体が有名無実化すると大学東校は独立、同年閏10月に学校規則が制定され予科・本科の組織が確立された。翌明治4年7月18日(1871年9月2日)、大学の正式廃止と文部省発足にともない、7月21日(新暦9月5日)に「東校」と改称された。この時期は「医学校」設立当初のイギリス医学中心の教育からドイツ医学へと移り変わる時期に当たり(後出)、同年9月25日(新暦11月7日)、政府は東校をいったん閉鎖して規則を改正した上で翌10月に再開、こののちドイツの医科大学をモデルとした組織改革が進んだ。
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