「大好物を持っている人は幸福」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 13:52 UTC 版)
「秋山徳蔵」の記事における「「大好物を持っている人は幸福」」の解説
東條英機内閣と小磯国昭内閣で蔵相を歴任し、終戦時の宮相だった石渡荘太郎は、その風変りさで秋山の思い出に残る人物であった。たばこは一日に200本程吸う超愛煙家、そして大の甘党であった。奇行としては、1945年(昭和20年)6月4日に宮相に就任し、各宮家に挨拶回りした際、いきなり公用車の運転手に駐車を命じると、外に出て立小便を始めたという。そして、車に戻り、挨拶を済ませた宮家から頂いたお土産の菓子を、すぐに車内で秘書官と食べてしまう程、甘いものに目が無かった。その甘いもの好きが祟って石渡は糖尿病を患うのだが、周囲の人々が咎めるのも聞かず、一度に餅菓子を5、6個も食べてしまい、「なあに糖尿で糖がおりるからそれを補わねばならんのだ」と屁理屈をこねていたという。秋山は元々石渡とは知り合いで、石渡の宮相時代(つまり秋山が所属する宮内省のトップだった頃)は個人的な付き合いを控えていたが、戦後石渡が公職追放となり、成城の自宅に閑居してからはよく行き来するようになった。 1950年(昭和25年)の8月に糖尿病が悪化し、一カ月程入院したが、退院後、秋山は砂糖の代わりにサッカリンだけを甘味料として用いたお汁粉を作り、石渡邸に持って行った(サッカリンはその後発ガン性が取り沙汰されたが、当時はカロリー無しの有効なダイエット甘味料と見做されていた)。 すると石渡は、 「うまい。実にうまい。近頃こんなうまいものを食ったことがない」 と、大喜びしたという(石渡はそれからわずかの同年11月4日に病没する)。 秋山は、「甘いものも過ぎれば毒だ」と思ってはいたが、その時の石渡の喜びようを思い出すと、以下のように考えるようになったという。 なんでも、これはうまい! と情熱をもって食べられる大好物を持っている人は、幸福なのじゃないか。別に何も食いたくも飲みたくも――なんてことになったら、人間まことに寂しいことじゃないか――と。
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