「大坂」地名発生以前の大坂とは? わかりやすく解説

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「大坂」地名発生以前の大坂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:55 UTC 版)

大阪」の記事における「「大坂」地名発生以前の大坂」の解説

のちの「大坂」が位置する上町台地は、古代には「難波潟」と呼ばれる葦原広がる湿地突き出した半島状の陸地で、浪速なみはや、なにわ)、難波(なにわ)、浪花(なにわ)、浪華(なにわ)などと書き表されてきた。 この地には、上代にはヤマト王権遣隋使遣唐使などの使節送り出したり、返答使の迎接行った住吉津難波津置かれ運河難波の堀江築かれた。また仁徳天皇時代には難波高津宮孝徳天皇時代には難波宮聖武天皇時代には難波京難波宮)が営まれ、都あるいは副都として機能した律令制のもとでは都に置かれ京職準じる別の官署摂津職によって管理された。 上代から奈良時代にかけて難波の地がこのように重要視されたのは、大阪湾西日本交通の要である瀬戸内海東端位置している上、難波高津宮難波宮以後飛鳥古京藤原京平城京などから最も近い港湾であることによる住吉津管理する住吉大社大和朝廷直属の社として別格であった難波津土砂の堆積により外港としての機能衰え奈良時代末には神崎川河口の河尻泊(現在の兵庫県尼崎市)などに繁栄一時譲る。しかし平安時代淀川水系利用して営まれ平安京恒久的なとなったことから、、源氏渡辺氏によって難波津から渡辺津と名前を変え瀬戸内海から淀川通じて京都通じ内港水運要衝として栄えたほか、北から淀川渡り南の四天王寺住吉大社さらには熊野へと続く陸上交通熊野街道起点要衝としても栄えた

※この「「大坂」地名発生以前の大坂」の解説は、「大阪」の解説の一部です。
「「大坂」地名発生以前の大坂」を含む「大阪」の記事については、「大阪」の概要を参照ください。

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