「大地母神山」yeke ötük
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 20:32 UTC 版)
「起輦谷」の記事における「「大地母神山」yeke ötük」の解説
17世紀以降に編纂されたモンゴル年代記では、チンギス・カンの墓所を新たに「yeke ötük」と表現するようになる。例えば『蒙古源流』では、「大斡禿克」と記され、多くのモンゴル年代記で同様の記述がなされている。「ötük」とは突厥の聖地「ウテュケン山」とも共通する語彙で、『元朝秘史』 では主に「高地」と訳される。また、『元朝秘史』には「ötügen eke=地母」という用例もあり、yeke ötükとは「大地母神山」を意味する地名で、「チンギス・カンの葬られた聖なる山」として起輦谷=クレルグ山がモンゴル人の信仰の対象となった結果、後世になってつけられた呼称であると考えられている。 以上の記述を総合すると、チンギス・カンの埋葬地の呼び方について「ケルレン河の源流地であるブルガン・カルドゥンには『クレルグ山』という山があり、これを漢文史料では『起輦谷』と表記した。起輦谷=クレルグ山の中には垣で開まれた『大禁地』と呼ばれる聖地があり、その一角にモンゴル帝国歴代皇帝の墓所が作られたが、その地は極秘の場所として限られた者にしか知られていなかった。後世のモンゴル人はチンギス・カンと歴代皇帝が葬られた一帯を尊崇して『大地母神山』と呼んだ」と総括することができる。
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