『蒙古源流』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 06:54 UTC 版)
正式なタイトルはQad-un ündüsün-ü erdeni-yin tobči(ハドン・ウンドゥスヌ・エルデニイン・トヴチ)で、直訳すると「帝王の源流の宝玉の史綱」となるが、清朝で漢訳された際のタイトル「蒙古源流」の名で広く知られている。 『蒙古源流』にはサガン・セチェンの出自・体験・歴史観が色濃く反映されていると指摘されている。例えば、バルス・ボラトによるハーン位簒奪は多くのモンゴル年代記の中で『蒙古源流』のみが唯一触れていないが、これはバルス・ボラトの直系の子孫に当たるサガン・セチェンが先祖の行為を隠蔽しようとしたためと見られている。 また、『蒙古源流』より後に編纂されたモンゴル年代記の多くがリンダン・ハーンのモンゴル統一事業を否定的に扱い、清朝を褒め称えるが、『蒙古源流』のみはリンダン・ハーンに好意的な記述をしている。これはサガン・セチェンが実際にリンダン・ハーンと行動を共にしていた経験が影響していると見られる。
※この「『蒙古源流』」の解説は、「サガン・セチェン」の解説の一部です。
「『蒙古源流』」を含む「サガン・セチェン」の記事については、「サガン・セチェン」の概要を参照ください。
- 『蒙古源流』のページへのリンク