蒙古源流からの引用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 01:18 UTC 版)
「義経=ジンギスカン説」の記事における「蒙古源流からの引用」の解説
「この中国の史書」の引用部分はイサーク・ヤコブ・シュミット編の『東蒙古史』に拠り、モンゴルの歴史家サガン・セチェンが1162年に記した『蒙古源流』をシュミットがドイツ語訳したものである。一説には1189年にはチンギス・ハンは34歳であったといい、1206年には44歳で北アジアを統一し、強いハンと云う意味で、可汗を称したともいう。また「九つのふさのついた白い旗」の存在は実態はよく判っておらず、一本の旗に九つの吹流しが付いていたものと考えられており、かつては古代中国で絶大な権力を持った王の象徴とされていたという。なお、ケルレン川はバイカル湖周辺のダツルン山脈(ヘンティー山脈か)南部を流れており、アムール川にそそぐ川である。またアルラト族はチンギス・ハンを支えた名門で直属の部下に多くなっている。ベーテについては不明だが、族長と巫女のベゲが統治していたことからこのベゲの部族だと推測される。シーボルトはチンギス・ハンの前に系図はない、チンギス・ハンのあとに系図はあるとこの「日本」で書いているが、チンギス・ハンについては系譜がはっきりしている。
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