蒙古自治運動への参加
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「ポインタライ」の記事における「蒙古自治運動への参加」の解説
察哈爾省都統署調査委員、シリンゴル盟(錫林郭勒盟)ソニド右旗(蘇尼特右旗)札察克公署顧問、察哈爾省都統署諮議を歴任する。1922年(民国11年)、臨時参政院参政となった。翌年、陸海軍副司令行営少将参事、北京綏靖公署主任少将参議となる。1928年(民国17年)からは国民政府でシリンゴル盟駐張家口弁事処長となった。 1933年(民国22年)、デムチュクドンロブ(徳王)らの蒙古自治運動が起こると、ポインタライもこれに参加した。蒙古地方自治政務委員会が成立すると、高等顧問・保安処処長に任ぜられている。1936年(民国25年)、蒙古軍総司令部秘書長となった。翌年、蒙古軍政府弁公庁主任となる。 そして同年10月に蒙古聯盟自治政府が成立するとともに、ポインタライはバエンタラ(巴彦搭拉)盟盟長に任命された。1939年9月、晋北・察南の両自治政府の合流とともに政府が改組され、蒙古聯合自治政府(蒙疆聯合自治政府。1941年、蒙古自治邦に改称)が成立すると、ポインタライは最高法院院長となっている。1944年(民国33年)からは司法長官も兼任した。
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