『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーンとは? わかりやすく解説

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『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 00:36 UTC 版)

エンケ・ハーン」の記事における「『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーン」の解説

『蒙古源流』には天元帝トクズ・テムル・ウスハル・ハーンが戊辰の年1388年)に亡くなった後、「その息子たち」としてエンケ・ジョリグト・ハーン、エルベク・ニグレスクイ・ハーン、ハルグチュク・ドゥーレン・テムル・ホンタイジの名が挙げられ、エンケ・ジョリグト・ハーンは己亥の年1359年)に生まれ己巳の年1389年)に帝位につき、壬申の年1392年)に亡くなったとし、イェスデルの名が出てこない。一方、『アルタン・トブチ』ではジョリグト・ハーンとエンケ・ハーン2人登場しウスハル・ハーン天元帝トグス・テムル)が1388年亡くなった後、ジョリグト・ハーンが1388年から1391年まで、エンケ・ハーン1391年から1394年まで帝位にあり、その後エルベク・ハーン帝位についたとある。一般的にこのジョリグト・ハーンをイェスデルとし、ニザーム・アル・ディーン・シャーミー『ザファル・ナーマ』で立証されたようにエンケ・ハーンイェスデルの子とされる

※この「『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーン」の解説は、「エンケ・ハーン」の解説の一部です。
「『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーン」を含む「エンケ・ハーン」の記事については、「エンケ・ハーン」の概要を参照ください。

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