『蒙古源流』におけるエンケ・ジョリグト・ハーン
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『蒙古源流』には天元帝トクズ・テムル・ウスハル・ハーンが戊辰の年(1388年)に亡くなった後、「その息子たち」としてエンケ・ジョリグト・ハーン、エルベク・ニグレスクイ・ハーン、ハルグチュク・ドゥーレン・テムル・ホンタイジの名が挙げられ、エンケ・ジョリグト・ハーンは己亥の年(1359年)に生まれ、己巳の年(1389年)に帝位につき、壬申の年(1392年)に亡くなったとし、イェスデルの名が出てこない。一方、『アルタン・トブチ』ではジョリグト・ハーンとエンケ・ハーンの2人が登場し、ウスハル・ハーン(天元帝トグス・テムル)が1388年に亡くなった後、ジョリグト・ハーンが1388年から1391年まで、エンケ・ハーンが1391年から1394年まで帝位にあり、その後エルベク・ハーンが帝位についたとある。一般的にこのジョリグト・ハーンをイェスデルとし、ニザーム・アル・ディーン・シャーミー『ザファル・ナーマ』で立証されたように、エンケ・ハーンはイェスデルの子とされる。
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