アリクブケ裔説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:11 UTC 版)
岡田英弘らが主張している。『蒙古源流』はエルベク・ハーンを先代のエンケ・ジョリクト・ハーン(アリクブケ家のイェスデルの子)の息子としており、これに従ってエルベク・ハーンもアリクブケ家の者と見る。ただし、そもそも『蒙古源流』はエンケ・ジョリクト(アリクブケ家)をトグス・テムル(クビライ家)の息子にするという誤謬をしており、エンケ・ジョリクトとエルベクの親子関係も俄には信じがたいという意見が主流である。 また、岡田英弘は1404年にサマルカンドを訪れたカスティーリャ王国の使節ルイ・ゴンサレス・デ・クラヴィホの旅行記を引用し、そこに記される3人の兄弟の相続争いをアリクブケ家のお家騒動と見なし、エルベク・ハーンがアリクブケ家の一員である証左であるとしている。
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