『落穂集』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
江戸時代の兵法家大道寺友山重祐が、享保13年(1728年)に著した家康の時代の編年体の歴史書『落穂集』にも村正は登場する(なお、友山は同じ年に同じ題でエッセイ・逸話集を出しているので、やや紛らわしい)。 この書で、家康の長男松平信康の介錯に村正が使われたという記述がある。『落穂集』より後に出された#『御実紀』に引く『柏崎物語』と比べると、天方が高野山に隠遁した後に結城秀康に召し抱えられるなど細かい違いはあるが(『落穂集』の方がやや記述が多い)、村正伝説に関する限りは『柏崎物語』とおおよそ同じなため、詳細は#『御実紀』に引く『柏崎物語』を参照のこと。 ただし、『柏崎物語』との最も大きな違いとして、この物語を友山(生年:寛永16年(1639年))が「若い頃」にとある老人から直に聞いた話としている。また、相当隔たりのある昔のことだから真偽を計るのは難しいが、ひとまず自分が聞いたことを記した、と評している。
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