モンゴル年代記におけるマフムード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/07 02:09 UTC 版)
「マフムード (オイラト)」の記事における「モンゴル年代記におけるマフムード」の解説
『蒙古源流』『アルタン・トプチ』などのモンゴル年代記では、オイラトのジャハ・ミンガンのゴーハイ太尉の息子、バトラ丞相(Batula čingsang)として登場する。 『蒙古源流』によると、ゴーハイ太尉がある時主君のエルベク・ハーンに弟の妻オルジェイト妃子の存在を伝えたことをきっかけに、エルベク・ハーンが弟を殺しオルジェイト妃子を奪うという事件が起こった。このため後にオルジェイト妃子はゴーハイ太尉が自分と密通したと偽り、これに怒ったエルベク・ハーンによってゴーハイ太尉は殺された。しかし、後にオルジェイト妃子の真意を知るとエルベク・ハーンはこれを悔やみ、ゴーハイ太尉の息子バトラに自身の娘サムル公主を娶せ、丞相(チンサン)とし、四オイラトを知行させた。しかし、これによってオイラトのオゲチ・ハシハは「(ハーンの勝手によって)主人である自分を差し置いて家来のバトラがオイラトを支配することになった」と怒り、エルベク・ハーンとバトラ丞相を殺したという。 一方、『アルタン・トプチ』にもほぼ同様の話が伝えられているが、バトラ丞相とオゲチ・ハシハが兄弟であり、両者の手によってエルベク・ハーンが殺されたという違いが存在する。二つの記述を比較すると『アルタン・トプチ』の方がより古い形式であり、『蒙古源流』はこれに他の伝承を組み合わせてより複雑な物語にしたものだと考えられている。 また、『蒙古源流』では息子であるトゴンの別名としてバクムという名を伝えているが、これは「マフムード」の訛であるため、『蒙古源流』の誤謬であると考えられる。
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