モンゴル年代記におけるトゴン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/07 02:14 UTC 版)
「トゴン」の記事における「モンゴル年代記におけるトゴン」の解説
『蒙古源流』はトゴンがバトラ丞相(マフムード)とエルベク・ハーンの娘サムル公主との間に生まれ、幼名はバクムであったと記している。バトラ丞相はケレヌートのオゲチ・ハシハに殺されたが、オゲチ・ハシハ自身も天罰によって死んだため、その息子エセクがオイラダイ・ハーンを擁立し、サムル公主を娶ってバクムも引き取ったという。この頃、サムル公主はオゲチ・ハシハに虐げられたのを恨みに思って後のアダイ・ハーン、アルクタイ・タイシを逃がしているが、この際にバクムはオイラトの仇敵であるモンゴルを利するような行為を責め立てている。 この後、アダイがハーンに即位するとオイラトを攻め、バクムは捕虜となったが、鍋をかぶせて召し使ったことからトゴンと名付けたという。アダイ・ハーンの下でトゴンはアルクタイやモンゴルジン部のモンケベイといった人物の敵意の中で過ごしたが、やがてサムル公主に引き取られてオイラトに帰還した。トゴンはオイラトに戻るとすぐにドルベン・オイラト(四オイラト)の代表者を招集し、ドチン・モンゴル(四十モンゴル)を攻める軍を出発させたという。
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