モンゴル帝国時代のバアリン
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「バアリン」の記事における「モンゴル帝国時代のバアリン」の解説
12世紀末、モンゴル部においてキヤト氏の長テムジン(後のチンギス・カン)が台頭すると、バアリンからはコルチ・ウスン・エブゲン、ココチュス、ナヤアといった人物がテムジンに仕え、モンゴル帝国建国の功臣となった。 特にコルチ・ウスン・エブゲンは前述したように司祭者たる「ベキ」としてチンギス・カンに仕え、モンゴル部の祭祀・卜占において重要な役割を果たした。『元朝秘史』は、モンゴル部内にてテムジンとジャムカの主導権争いが激化する中で、コルチ・ウスン・エブゲンは「テムジンとジャムカのどちらがモンゴルのカンとなるべきか」占い、「テムジンをカンにするように」との神託を受けたためテムジンの下にやってきたという逸話を伝えている。 1206年にモンゴル帝国が建国されるとテムジン改めチンギス・カンは功臣を千人隊長(ミンガン)に任じたが、コルチ・ウスン・エブゲンはバアリン氏からなる10の千人隊を率いていたため、万人隊長(トゥメン)とも呼ばれた。10の千人隊という数は当時のモンゴル帝国において最大規模の集団であり、同じく万人隊長と称されたムカリ直属のジャライル千人隊は3つしかなく、バアリン万人隊に次ぐのはコンギラトの5千人隊を率いるアルチ・ノヤンがいるだけであった。 チンギス・カンの死後その遺領が分割されると、バアリンの大部分は末子トゥルイが相続し、以後バアリンの有力者は主にトゥルイ家に仕えるようになる。特に最初フレグに仕え、後にクビライに仕えるようになったバヤンは南宋征服の総司令官を務め、大元ウルスの最高幹部にまで上り詰めたことで著名となった。
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