モンゴル帝国時代前後とは? わかりやすく解説

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モンゴル帝国時代前後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 07:11 UTC 版)

バルラス」の記事における「モンゴル帝国時代前後」の解説

チンギス・カン以前モンゴル部属す氏族で、『元朝秘史によればその始祖カチュリはモンゴル部始祖アラン・コアの子のボドンチャル・ムンカクの孫であったメネン・トドンの息子たちひとりであったと伝えている。メネン・トドンの息子はカチ・クルク、カチンカチウ、カチュラ、カチウ、カラルダイ、ナチン・バアトルの7人であったカチウにはバラルダイという息子がおり、大き身体の持ち主食物猛々しかった(baruq)ので、その子孫バルラス部族呼ばれた、という始祖伝説伝えている。 カチュラの息子もやはり食物猛々しい人物だったため、カチウ家の子孫を「大バルラ(也客把舌剌 Yeke Barula)」、カチュラ家の子孫を「小バルラ(兀出干把舌剌 Üčǖgen Barula)」と名付けて、両者あわせてバルラスとなったという。のちのチンギス・カン家を輩出するキヤト氏タイチウト氏とは祖先同じくしていたことになる。『元朝秘史によれば最初カンハンとなったカブル・カンアンバガイ・カンカブル・カン又従兄弟)と同族とするボルジギン氏に繋がる有力家系であったと伝わる。 カチュリの子孫はカブル・カンの子キヤト氏族従いキヤト氏チンギス・カン仕えたカラチャル・ノヤンはモンゴル帝国千人隊長のひとりとなり、チンギス次男チャガタイウルス所領)に配属された。13世紀中頃チャガタイ・ウルスイリ川渓谷に移るとこれに従い、さらに14世紀チャガタイ・ハン国形成して中央アジアの広い地域支配するうになるバルラス部も散らばった。他に特にバルラス部族出身者有名な人物いわゆる「四(ドルベン・ノガス)」のひとりクビライがいる。

※この「モンゴル帝国時代前後」の解説は、「バルラス」の解説の一部です。
「モンゴル帝国時代前後」を含む「バルラス」の記事については、「バルラス」の概要を参照ください。

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