モンゴル帝国期に配置された万戸府の所在
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「チベット十三万戸」の記事における「モンゴル帝国期に配置された万戸府の所在」の解説
モンゴル帝国は、服属したチベットの諸侯を、サキャのクン氏に統括させ、大小の領主に「ティプン」その他の大小の官職をあたえた。チベットは、名目上、帝師もしくは国師として大ハーンに近侍するサキャ寺の座主を長官とし、「仏教の僧侶と信者および吐蕃の領域を管轄し、これを統治する」ことを職務とする宣政院の下、いくつかに区分された。うち、中央チベットの烏思蔵・納里速古魯孫(ウーツァン、ガリ・コルスム)等三路宣慰使司属下の万戸府として、『元史』巻八七には11の万戸が列挙されているが、後述する、のちのチベット文献に登場する万戸の所在とは一致しない。
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