ムカリ
ムカリ
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ムカリ(Muqali guy-ong、1170年 - 1223年)は、モンゴル帝国の初代ハーンであるチンギス・カンの家臣。チンギス・カンの左翼諸軍に属す24の諸千戸隊を統括する万戸(トゥメン)の長であった。『元朝秘史』に載る1206年のチンギス・カン即位時の功臣表では、モンリク・エチゲ、ボオルチュに次ぐ第3位に数えられる。『元朝秘史』『元史』などの漢語表記では木華黎、木合黎、木花里、謀合理、摩睺羅など。『集史』のペルシア語表記などでは「ムカリ国王」の音写である、 موقلىكويانك Mūqalī Kūyānk などと書かれる。『元朝秘史』『集史』によれば、チンギス・カンによって右翼諸軍を統括するボオルチュとならび、カラウン・チドンとよばれる地域を統べる左翼万戸長に任じられたと言う。ボオルチュとならぶモンゴル帝国創業の大勲臣のひとりであり、死後に東平王、魯国王に封じられる。
- ^ 「生時有白気出帳中。神巫異之、曰:『此非常児也』」(『元史』卷一百一十九 列傳第六 木華黎)
- ^ 原田理恵「元朝の木華黎一族」(所収:『山根幸夫教授追悼記念論叢 明代中国の歴史的位相 下巻』(汲古書院、2007年) ISBN 978-4-7629-2814-7)
- 1 ムカリとは
- 2 ムカリの概要
- 3 ジャライル部国王ムカリ家
- 4 参考文献
ムカリ
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詳細は「ムカリ」を参照 ジャライル部の人。チンギス・カンのモンゴル高原統一に大きな功績をあげた。1206年、モンゴルの左翼(東部)の万人隊長(トゥメン、万戸長)に任命され、チンギス・カンの金朝遠征でも活躍した。チンギスのホラズム遠征にあたっては東方に残され、太師・国王の称号を与えられるとともに「五投下」と呼ばれるモンゴル高原東南部の5部族(ジャライル部、コンギラト部、ウルウト部、モンクト部、イキレス部)を配下につけられて中国の攻略を担当した。 ムカリの子孫が支配するジャライル部他五投下は、第4代モンケ・カアンの時代に彼の弟で第5代カアンとなるクビライに附属され、クビライの権力奪取に貢献、大元ウルスにおける有力貴族の家系となった。『集史』などのペルシア語史料では موقلىكويانك (Mūqalī Kūyānk)、『元朝秘史』などの漢文史料では木合黎/木華黎とも表記される。
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