モンリク・エチゲ
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モンリク・エチゲ(モンゴル語: Mönglik Ečige、中国語: 蒙力克、生没年不詳)は、13世紀初頭にチンギス・カンに仕えたコンゴタン氏族長で、千人隊長の一人。漢文史料では明里也赤哥(『元史』)/蔑力也赤哥(『聖武親征録』)/蒙力克額赤格(『元朝秘史』)、『集史』などのペルシア語史料ではمنکلیک یجیکه(Munklīk Ījīka)と記される。日本語文献ではムンリクとも表記される。
- ^ 村上1970,103頁
- ^ 村上1970,90-91頁
- ^ この記述は『元朝秘史』に基づく(村上1970,99-102頁)。『集史』ではやや記述が異なり、移住しようとするタイチウトとこれを連れ戻そうとするキヤトとの間で戦闘が起こり、その戦闘の最中にチャラカ・エブゲンは背中に矢を受けたと記されている(志茂2013,596頁)。
- ^ 村上1970,278-279頁
- ^ 『元史』巻193伯八伝,「伯八、晃合丹氏。祖明里也赤哥、嘗隷太祖帳下。初、怯列王可罕与太祖為隣国、誓相親好、既而敗盟、与其子先髠潜謀、欲襲太祖、因遣使通問、許以女妻太祖弟合撒児。至期、太祖欲往、明里也赤哥疑其詐、諫止之。王可罕知謀泄、遂謀入寇、後為太祖所滅」
- ^ 『聖武親征録』「上率麾下十騎往赴之、宿於蔑力也赤哥帳中。越明日、与蔑力也赤哥謀…」
- ^ 志茂2013,592頁
- ^ ココチュ=テプ・テングリとも呼ばれる。
- ^ 村上1976,110-123頁
- 1 モンリク・エチゲとは
- 2 モンリク・エチゲの概要
- 3 参考文献
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