メルキトとは? わかりやすく解説

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メルキト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 01:29 UTC 版)

メルキト英語: Merkitモンゴル語: МэргидMergid )は、モンゴル帝国以前の時代にモンゴル高原北部から東南シベリアにかけての地域に割拠していた遊牧民の部族集団。代の記録に現れる「弥列哥」がその初出と考えられる。時代には密児紀、梅里急などと書かれ、モンゴル帝国時代には『元史』などの漢語表記では滅里吉、『元朝秘史』では蔑児乞、『集史』などのペルシア語表記では مركيت Markīt としている。その居住地はバイカル湖の南の地域を中心とし、南にはケレイト、東にはモンゴルと接していた。


注釈

  1. ^ 元史』にみえる「玉須 Üs」,「烏斯 Üs」,「兀児速」,「兀速」にあたり、『集史』では「Urasūt」と記す。イェニセイ上流のウス川を指すとともに、この河名に由来する種族である[1]
  2. ^ 『集史』によると、「彼等はモンゴリア地方の大砂漠であるオナン地方で会合した」とあり、イアキンフ訳『元朝史』によると「オノン河の付近」であった[5]
  3. ^ このウルグ・タグというのはバルハシ湖のかなた(東方)にあたり、小アルタイ山脈の西方に走っていて、シベリアと古代トルコ地方との境界を分けているものである。
  4. ^ "Faṣl-i Duwwum dar Dhikr-i aqwaāmī az Atrāk ki īshān rā īn zamān Mughūl mī-gūyand. lākin dar zamān-i qadīm har yak qawm az īshān ʿalā al-infirād bi laqabī wa ismī makhṣūṣ būda-and. wa har yak ʿalā-ḥida sarvarī wa amīrī dānishta.[15][16]" ただし、『集史』文中で頻繁に使われる「テュルク諸部族(aqwām-i Atrāk, qabā'il-i Atrāk)」という単語について、『集史』はじめこの時代のアラビア語、ペルシア語史料での「アトラーク」 Atrāk (Turk のアラビア語複数形)という概念は、「ユーラシア北方に展開する遊牧勢力」というような緩い枠組みとして認識されていた感じがあり、今日的な言語学的・民族学的分類での「テュルク」と同一とは限らないことは注意せねばならない[17]。 例えば、『集史』テュルク・モンゴル部族誌 第3章「それぞれ独自の君主や指導者を持っていたが、前章で述べられたテュルク諸部族やモンゴル諸部族とは親族関係がなかったテュルク諸部族について」には、ケレイト部族、ナイマン部族、オングト部族などが分類されているが、第3章冒頭でこれらは「容姿や言葉において彼ら(モンゴル)に近しい(ammā bi shikl wa zabān bi īshān nazdīk būda-and[18][19]」と説明されながらも、テュルク語とは全く言語系統を異にするはずのタングート西夏)も第3章の分類に含まれている。
     『集史』オゴデイ・カアン紀には、チンギス・カンからの夢告を受けたという人物の逸話でオゴデイは父チンギス・カンはモンゴル語(zabān-i Mughūlī)以外知らなかったと述べている。『集史』より半世紀程前に成立したジューズジャーニーの『ナースィル史話』(Ṭabaqāt-i Nāṣirī)にもほぼ同じような逸話があり、やはりオゴデイはチンギスはモンゴル語(zabān-i Mughūlī)しか知らず「テュルクの言葉」(zabān-i Turkī)は知らなかった、と述べており、テュルク語とモンゴル語は別の言語である、という認識も存在していた。一方でジューズジャーニーは別の箇所でモンゴルの出現はテュルクの興起であるとも述べているようで、13-14世紀のモンゴル帝国の内外では、モンゴルは「テュルク」と言葉を異にするという認識と、モンゴルは大きな枠組みでの「テュルク」の一派でもある、という認識が併存していたようである[20][21][22]
  5. ^ ダイル・ウスンとは「黒褐色の河水」の意[24]

出典

  1. ^ 『騎馬民族史2』p453注163
  2. ^ 『新唐書』列伝第一百四十二下
  3. ^ 村上 1970、P190 注9
  4. ^ 佐口 1968,p47
  5. ^ 佐口『モンゴル帝国史 1』、p54 注2
  6. ^ a b 佐口 1968,p52
  7. ^ 佐口 1968,p53-54
  8. ^ 佐口 1968,p56
  9. ^ 佐口 1968,p76-80
  10. ^ 佐口 1968,p80-81
  11. ^ 佐口 1968,p88
  12. ^ 佐口 1968,p92
  13. ^ 村上 1970、p73 注2
  14. ^ 宮脇 2002、p137
  15. ^ Али-Заде p129-130
  16. ^ Rawshan p65
  17. ^ 宇野伸浩「『集史』の構成における「オグズ・カン説話」の意味」p34-61
  18. ^ Али-Заде p249-250
  19. ^ Rawshan p111
  20. ^ 宇野伸浩「『集史』の構成における「オグズ・カン説話」の意味」p42
  21. ^ Rawshan p687
  22. ^ ドーソン『モンゴル帝国史 2』p136
  23. ^ 村上 1970、p168-169 注6
  24. ^ 村上 1970、p191 注12


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