バラク・ブラルキ兄弟の処遇
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「トク・テムル (ソゲドゥ家)」の記事における「バラク・ブラルキ兄弟の処遇」の解説
「シリギの乱」勃発当初、いち早く叛乱軍の侵攻に気づいたコンゴタン部のバイバク(建国の功臣モンリク・エチゲの子孫)はクビライに報告を行い、自らの手兵で叛乱軍の侵攻を押しとどめようとしたが、衆寡敵せず敗死してしまった。 バイバクの死後、トク・テムルは生け捕りとしたバイバクの子のバラク(八剌)とブラルキ(不蘭奚)兄弟を身近に置いて重用し、彼等を頗る厚遇した。しかしバラクらは父の仇を忘れておらず、トク・テムルの近侍と密かに通じてトク・テムルを謀殺しようとした。しかし家人から謀議がトク・テムルに報告されてしまい、計画が失敗したことを悟ったバラクは家族を連れて南方に向かって逃走した。トク・テムルはこれに対して追っ手の騎兵を派遣し、渡河に手間取っていたバラクらを包囲して矢を放ち、力尽きたバラクらは投降した。 トク・テムルは自らの下に連れてこられたバラク兄弟に対して「我は汝を厚く遇したというのに、汝は何故このような行動にでたのか」とバラクらの行動を強く責めた。これに対してバラクは「汝は君主に反逆し、我が父を殺し、我が家族を掠奪した。[故に]我は汝を殺し、君父の仇に報いんと誓ったのである」と答えた。バラクらは跪けと言われても跪かず、その膝を砕かれても跪かず、遂に兄弟ともに殺された。この忠義を称えて、バイバク、バラク父子は『元史』巻193「忠義伝」に立伝されている。
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