バラク・ブラルキ兄弟の処遇とは? わかりやすく解説

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バラク・ブラルキ兄弟の処遇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 08:52 UTC 版)

トク・テムル (ソゲドゥ家)」の記事における「バラク・ブラルキ兄弟の処遇」の解説

シリギの乱勃発当初いち早く叛乱軍の侵攻に気づいたコンゴタン部のバイバク建国功臣モンリク・エチゲの子孫)はクビライ報告行い、自らの手兵で叛乱軍の侵攻押しとどめようとしたが、衆寡敵せず敗死してしまった。 バイバク死後トク・テムル生け捕りとしたバイバクの子バラク(八剌)とブラルキ(不奚)兄弟身近に置いて重用し彼等頗る厚遇した。しかしバラクらは父の仇忘れておらず、トク・テムル近侍密かに通じてトク・テムル謀殺ようとした。しかし家人から謀議トク・テムル報告されてしまい、計画失敗したことを悟ったバラク家族連れて南方向かって逃走したトク・テムルはこれに対して追っ手騎兵派遣し渡河手間取っていたバラクらを包囲して矢を放ち、力尽きたバラクらは投降したトク・テムルは自らの下に連れてこられたバラク兄弟に対して「我は汝を厚く遇したというのに、汝は何故このような行動にでたのか」とバラクらの行動強く責めた。これに対してバラクは「汝は君主反逆し我が父を殺し我が家族を掠奪した。[故に]我は汝を殺し君父の仇に報いんと誓ったのである」と答えたバラクらは跪けと言われても跪かず、その膝を砕かれても跪かず、遂に兄弟ともに殺された。この忠義称えてバイバクバラク父子は『元史』巻193忠義伝」に立伝されている。

※この「バラク・ブラルキ兄弟の処遇」の解説は、「トク・テムル (ソゲドゥ家)」の解説の一部です。
「バラク・ブラルキ兄弟の処遇」を含む「トク・テムル (ソゲドゥ家)」の記事については、「トク・テムル (ソゲドゥ家)」の概要を参照ください。

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