ボオルチュ
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ボオルチュ(Bo'orču、生没年不詳)は、モンゴル帝国のチンギス・カンの家臣で、イェスゲイ没後の貧窮時代からチンギス・カンに仕えた続けたモンゴル帝国草創期の第一等の勲臣である。
- ^ 小沢重男『元朝秘史全釈(中)』157, 159頁
- ^ 村上『モンゴル秘史 2 チンギス・カン物語』351-352頁
- ^ 志茂『モンゴル帝国史研究正篇』607, 613頁
- ^ 小沢重男『元朝秘史全釈(中)』340頁
- ^ 『集史』「チンギス・カン紀・千人隊一覧」等ではトグルク・チェルビがボオルチュの兄弟であり、『元朝秘史』のオゲレン・チェルビと同一人物と思われるオゲレ(イ)・チェルビ اوكله جربى Ūkla Charbī はスニト部族出身の千人長としている(志茂『モンゴル帝国史研究正篇』638頁)。モンゴル史研究者の村上正二はオゲレン・チェルビがボオルチュの弟であり、『集史』のトグルク・チェルビと同一人物と思われるドゴルク・チェルビ 朶豁勒忽扯児必 Doqolqu-čerbi はマングト部族のジェデイの弟としているこれら『元朝秘史』の記述の方が正しいと論じている(村上『モンゴル秘史 1 チンギス・カン物語』227-228頁)。
- ^ 志茂『モンゴル帝国史研究正篇』607, 612頁
- ^ 志茂『モンゴル帝国史研究正篇』612-613頁
- ^ 志茂『モンゴル帝国史研究正篇』605, 607頁
- 1 ボオルチュとは
- 2 ボオルチュの概要
- 3 アルラト部広平王ボオルチュ家
ボオルチュ
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詳細は「ボオルチュ」を参照 アルラト部の人で、チンギス・カンの最初の側近。『元朝秘史』によれば、少年時代のテムジン(チンギス・カン)が馬泥棒にあったとき、テムジンに馬を貸して追跡を助けたとき以来の友人であるとされる。チンギス・カンのモンゴル高原統一にも功績をあげ、右翼(西部)の万人隊長に任命された。 右翼を率いて主に中央アジア方面を担当し、金やホラズムへの遠征にも随行した。『集史』などのペルシア語史料ではبوغورچى نويان(Būghūrchī Nūyān)、『元朝秘史』などの漢文史料では孛斡児出/博魯朮とも表記される。
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