アジュル
アジュル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 04:53 UTC 版)
アジュル(モンゴル語: Aǰul、生没年不詳)は、13世紀に活躍したモンゴル帝国の将軍。
同名の将軍は2名おり、一人はオロナウル部出身の将軍でチンギス・カン及びオゴデイ・カアンに仕えた人物、一人はアルラト部出身でセチェン・カアン(世祖クビライ)に仕えて南宋侵攻に活躍した人物である。なお、オッチギン家にもアジュルという名の王族が存在する。
オロナウル部出身のアジュル
モンゴル帝国建国以前からチンギス・カンに仕えた人物で、バルジュナ湖の水をすすった「バルジュナト」の一人に数えられている[1]。1206年のモンゴル帝国建国後は遼東女真の攻撃、西夏の攻略などに功績を挙げた。
オゴデイ・カアンの治世では信安・下金など20余りの城を攻略しする功績を挙げた。その後、老いを理由に引退し、タガチャルの命によって息子のブカ(不花)が後を継いだ[2]。
アルラト部出身のアジュル
『五族譜』には「アジュル・ノヤン(اجلAjul):ボオルチュ・ノヤンの息子。イェケ・ノヤンの集団に属し、かつ万人隊長であった」とあり、アルラト部出身のボオルチュの息子であった[3]。
ウリヤンハン部のアジュらとともに南宋侵攻に従軍したことが記録されている[4]。
脚注
参考文献
アジュル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:56 UTC 版)
詳細は「アジュル」を参照 『集史』「アルラト部族志」によると「ボオルチュの息子(アジュル)」が、ボロルタイの息子のバルジクの後ボオルチュ家当主の地位を継いだと記す。『集史』にはこの「ボオルチュの息子」の名前が記されないが、『五族譜』「クビライ・カアンの御家人一覧」の記述により「アジュル・ノヤン」という名前であると判明する。『元史』にも対応する人名が記録されているがボオルチュとの関係は不明で、実際にボオルチュの息子であるとすると活躍年代が遅すぎるなど、不明な点の多い人物。
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